私はエンジニアでした。
物事を客観的に、事実にだけ関心を持つように、教育されました。
世間や人の世は、だましや、嘘がつき物です。
エネルギーや、ICの回路をだます訳にはいきません。
しかしです、そういった、物理で創られた物は、結局
商売として人の手に渡り、支払いや保障など、法律に縛られます。
この年になって、やっと技術商売というものが分かりかけてきました。
そこで、本題に入ります。
けっこう長い間、上記のような、論理と非論理の世界に挟まれ、胃があまり強くありません。
若いころ、潰瘍にかかり、その後、タバコや酒で、キリキリ痛みをだまし、だまし生きてきました。
正直サクロンには、15年間ほど、困ったら空腹時、夜中の3時とか、それも二袋とか、助かりました。
こんな胃と30年付き合うと、これ以上無理できないなと、センサーとして重宝しています。
そんな私ですが、ある日の午後、会社からの帰り道、
あることに気がつきました。
ちょうど例えると、全てが、うまくいかないと感じている時でした。
具体的に、何がどうわるい、とか言うことではなくて、自分のエゴがそう感じさせてくれるのです。
家から駅までの、12分の徒歩の道すがら、2分前に家を出て、
ゆっくり、例え方が変ですが、すこし千鳥足で歩くと、・・・驚きです。
胃センサーがてきめんに、楽信号を出してきたのです。
ついでに、試してみようと思い、家庭のこと、お金のこと、仕事、趣味、天気、花
一切合切、これでいいんだ、と感じてみました。すると、体が少し浮いている感じがします。
これまでの人生、考えることは多かったです。
でも、 感じる ことは、ことのほか少なかったような。
5%を時間の消費税として払うと、体が浮いている 感じ を手に入れることが出来ます。
もうすぐ文末です。少しだけ詳しく描くと、
千鳥足のとき、時間は余裕目だからOK、周りの空気、風、日差し、音、におい、
あなたの帰りを待っているであろう家族(逆らってばかりの息子とか)、
あるいは、出勤時は会社の同僚、仕事の内容、
一切合切を 感じる に溶かしてしまいましょう。
論理的なつながりの糸を、目の前の空気に溶かしてしまいましょう。
全てを受け入れてみましょう。 全てです。 空気も、飛行機も、宇宙でさえも・・・
受け入れがうまくいくと、あなたが、あなたのエゴが、
いかにまやかしの、もろい、論理の虚構を作り上げていたのか、に気づくと思います。
受け入れとは、そのエゴを空気に溶かすことを意味します。
無理にエゴを否定すると、また虚構を作る無駄に陥ります、気をつけてくださいね。
エゴも空気の一部として、そして、受け入れてください。
エゴが弱まると、不思議とあなたを受け入れてくれる人が、増えます。
増えるはずです。直ぐにではないかもしれませんが・・・
そしたら、あなたの後ろにある空気があなたを、少しだけですが支えて、持ち上げてくれます。
いつか、いつの日にか、あなたの人格でさえも、空気に溶けていく感じがしたら・・・
宗教を持ち出して、心苦しいのですが、
イブのりんご、パンドラの箱、打たれた後の残りの頬でさえ、痛みを感じなくなるとすれば・・・
仏教で例えると、
煩悩(エネルギー)と因果(時間)は、生きている限り無くなりませんが、
弱めることはできそうです。
5%の時間の納税者であるあなたは、たぶん、勝利を手にするでしょう。
たぶん、負けることはあっても、次は勝ちます。
勝負のときは必ず、
必ず、5分か10分でいいです、 受け入れ歩き を用意してください。
自然(周りの構造の全て)と全て(思考に関連する事全て)を受け入れて歩く
勝負の前のイメトレには、これ以上のものはありません。
論理的に前しか見ないと(科学的予測行動など)、前にある空気が抵抗となり、疲れます。
後ろの空気が体を押してくれると 感じる だけで、前の抵抗は半減します。
いつか、きっと、あなたが、前を歩く人の、後ろの空気になってあげられたら・・・
もっと、ス・テ・キ